この記事を書いている今日は7/7の七夕の日です。
七夕と聞いて、七夕ってなんだっけ。そういえば世界ではなんて呼んでいるんだろう。
七夕に催し物をするのは日本人だけ?などいろいろな疑問が沸いてきました。
世界の七夕事情から、起源なども含めて調べてみました。
七夕は英語で何?
七夕は、英語圏では Festival of the Weaver または Double Seventh Festival と呼ばれているようです。
Weaverは、はたおりをする”織り手”や”はた織り職人"を指す名詞です。
七夕伝説に登場する”おりひめ”は、はた織りをしていますし、直訳すると”はた織り職人祭り”みたいな感じの名前になっているようです。
また、中華系のEnglish Speakerの間では、Double Seventh Festival(またはQixi Festival)と呼ばれているようで、これは7月7日にちなんだ呼び名です。
しかし、中国の七夕は旧暦の7月7日ですので、日本の7月7日とは全く別日で、その年によって違います。
七夕の起源
七夕の起源は中国です。
日本では有りませんでした。なのになぜ、日本であんなに七夕まつりが多いのでしょうか。。。
後述しますが、七夕の伝説は中国から日本に伝来し、国内で独特の発展をしていました。
中国では、 漢朝時代(206 BC – 220 AD)より行われてきた祝い事行事です。(chinahighlightsより引用)
同じころの日本はというと、まだ弥生時代ですね。
伝来が中国ですので、この七夕というお祭り自体も、中国の影響が大きかったアジア地域にしかない文化になります。
中国と日本の七夕の違い
そんな、弥生時代に伝来した伝説を元にした行事ですので、現在では発祥地である中国と日本では、行事や伝説自体も全く違います。
中国
祝う日 : 旧暦の7/7
旧暦の7/7は年によって違い、以下のようになります。
年 | 日 |
2017 | 8月 28日 |
2018 | 8月 17日 |
2019 | 8月 7日 |
2020 | 8月 25日 |
2021 | 8月 14日 |
どのようにして祝う? :
現代の中国では、日本と違い七夕はロマンチックな日というとらわれ方をしています。
ちょうど日本のバレンタインのような感じで、恋人や大切なパートナーにチョコレートやプレゼントを贈ったり、デートをしたりして過ごします。
そのため、七夕は中国の伝統的なお祭りの中で最もロマンティックな祭りと言われ、チャイニーズバレンタインデーとも呼ばれいるようです。
多くの伝統的な行事が廃れていく中で、この七夕は約2千年前より、祝い方こそ変化していますが、脈々と続いています。
ですが、上海が出身の知り合いに聞いたところ、一応そうゆう風習にはなっているが、今の若い人は特に何もやらないよ。という事でした。
七夕伝説のあらすじ :
牛飼いの”ひこぼし”は、飼っていた牛(もともとは牛の神だった)の知恵を借りて、神の7番目の娘であった”おりひめ”と強制的に勝手に結婚します。
(伝説の中では、川に遊びに来ていた神の娘たちの中で、ひこぼしが一目ぼれしたため、おりひめの服を隠し、そのため”おりひめ”だけが天界に帰ることが出来ずに残され、結婚に至っています。)
その後、”ひこぼし”と”おりひめ”には一男一女の子供二人を設け、ひこぼしは農耕・おりひめははた織りをして暮らしました。
しかし、神の子でありながら人間と結婚したことを知った”おりひめ”の母である女神は、激怒して”おりひめ”を天界へ引き戻します。
後に飼牛は死亡しますが、”ひこぼし”は飼牛の生前の助言により、の皮を身に着けることで天界へ行ける事を教えられていた。
ひこぼしはその通りにして、2人の子供とともに”おりひめ”を追いかけます。
しかし、女神は怒り、”おりひめ”と”ひこぼし”の間に魔法で巨大な川を作りました。
後に女神は、”おりひめ”と”ひこぼし”の愛情に同情して、年に一回のみ橋が出来るようにしお互いが会うことを許しました。
日本
祝う日 : 太陽暦で毎年7/7
どのようにして祝う? :
笹をかざって、そこに願い事を書いた短冊をぶら下げる。
地域によっては、短冊を川に流したり、灯篭流しをしたりする所もあるようです。
七夕伝説のあらすじ :
昔、神様の娘に織姫という娘がいました。
織姫は働き物で、天界では機織りの役割りを担っておりました。
ある日、神様は織姫が年頃になったので、結婚相手を探します。
すると、天の川の近くで牛飼いをしていた、働き物の彦星をみつけ、織姫と引き合わせました。
二人は恋に落ち、結婚しました。
しかし、二人は仲が良すぎて結婚後に仕事をしなくなってしまったのです。
これを見た神様は、怒って二人を天の川の東西に引き離しました。
その後、二人は働き物となり、会えないことを悲しむ織姫と彦星に同情した神様は、年に一度天の川に橋を架けて会えるようにしました。
比較してみてみると、日本と、中国では、祝い方から伝説そのものまで、全然違いますね。
日本でなぜ七夕の風習が変化したのか
七夕が日本に伝来してから、相当時間が経っているわけですが、日本で七夕はいろいろな行事と融合して独自の進化を遂げたようです。
竹を飾ることにについては、日本では竹は成長力の強さから神聖な意味を持っていたため、用いられるようになったようです。
また、短冊に願い事を書いたりする行為については、一説によると中国から伝来した乞巧奠(きこうでん)という機織りの技術向上を願う祭りごとと、
寺子屋で始まった、短冊に学力向上などの願い事を書いてお願い事をした行事が複雑に混ざり合っているようです。
まとめ
いかがでしょうか。
こうしてみると、中国と日本では、伝説自体から祝い方までなにもかもが違っていることが分かりました。
日本では、多くの行事が一色淡になって、独自の文化になっていることもわかりました。
また、中国でも七夕は今もなお続いていますが、時代に合わせて今も変化を遂げているようです。
お子様や、家族や友達に七夕についてお話しするときに、話の役にたてばと思います。